ふぇるみーにょ君の薬草日記

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キラキラしたアメリカ学生生活

メリカで大学生をしているという話をすると、皆が「羨ましい」という何ともシンプルで有り難い感想を伝えてくれる。

これは完全に私の偏見だが、羨ましいという感想を持つ人たちの多くは海外ドラマや洋画で得た知識から、アメリカでのキラキラした学生生活を想像し、“なんだか楽しそうだ”と胸を膨らませるのであろう。

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私も日本を出るまではアメリカという国に対して「自由そう」「フレンドリー」「物事にアバウト」なんていう典型的なイメージを持っていた。そして、様々な期待を胸に大学入学の手続きを済ませ、飛行機で片道15時間かけアメリカの大学生という肩書きを手に入れたのであった。

今回は、私が日本で培ったアメリカに対するイメージとそのギャップを現地の大学生という立場から簡単にご紹介できたらと思う。

 

1. 自由な国

アメリカという国は本当に自由だ。

この国には様々なタイプの人間が入り混じって生活している。そして、年齢や背景に関わらず、何事にでも自由に挑戦することが良しとされる風潮がある。

挑戦する人に対して周りの友人や教授などは彼らの夢や目標を全力で応援し、本気でサポートしてくれる。

誰もが一度は耳にしたことがあるであろう「アメリカンドリーム」という言葉が存在するように、アメリカで生活するすべての人々が自由に挑戦できる。

この文化は、イノベーションと呼ばれる物の多くがアメリカで生み出されてきたことに深く関係していると思う。

 

皆んなが自由に生き、何でも好きな事に挑戦出来る、そんなに素晴らしいことはない。

 

しかし”自由”という言葉の裏側には、自己責任というワードが常に付き纏う。

私が好きなアイルランド生まれの劇作家、バーナード・ショーの名言にこんなものがある。

"Liberty means responsibility. That is why most men dread it."

自己とは責任を意味する。だから、大抵の人間は自由を恐れる。

自由に生きるということは、自己と他者を切り離し、自分で物事を決断し責任を持って行動することが必要不可欠である。

本当の自由とは、きちんと自己と向き合い、己を持った上で存在するのだ。

大学で例えるならば、自分の学びたい学問を好きな様に、好きなだけ勉強できる環境が用意されている。

その反面、大学に行かずに好きなだけ遊ぶことも可能だ。最高。

誰も「学校に来い」などとは言ってくれないし、成績が悪くて大学卒業が危ぶまれてもそれは完全に自己責任だ。

某○應大学の友人から聞いた話なのだが、彼はある日大事な試験に寝坊してしまったらしい。しかし、お得意のトーク力で教授を説得し、必死に頭を下げた結果もう一度試験を受けるチャンスを頂けたのだ。

アメリカでは絶対にあり得ない。

そんな都合のいい自由は存在しないのである。

一見、アメリカという国は何でも大体で許される様に見られがちだが、実際はかなりシビアで、どれだけ泣き付き頭を下げようが成績が悪かったら単位を取得出来ず、追加で何十万円もの大金を支払い学位を得るためにもう一度その授業を取る羽目になる。

 

是非アメリカで生活する際には、自由を用法用量を守って正しく使うことを心がけて欲しい。

  

2.フレンドリー 

アメリカ人はフレンドリーである。

電車の中で「その靴いいね」などと突然知らない人に声を掛けられたことが何度あっただろうか。

私も18歳で、渡米したばかりの頃は「何だこの人!?」といちいち驚いていたが、今では「Thank you」その一言で全てを済ませ、特にこれといったリアクションも取らない。

これはアメリカではごく普通の光景であり、何らおかしなことではない。それこそ人に寄るとも思うが、アメリカ人は異常なほどにフレンドリーなのだ。彼らは電車で出会った知らない人に向かって「それいいね!」と伝えることに対して何も特別な感情は抱いていない。ただそれがいいと感じたので相手に伝えたまでの話である。

 

少し話は変わるが、私は日本を出てアメリカで生活するまで、"日本人"であるということは大きなアドバンテージであると何となく信じていた。

特に日本のメディアは”クールジャパン”というよく分からない言葉で、「日本は世界から見ても素晴らしい国だ、とにかくすごいんだ」ということをテレビを通じ、国民に向けて主張している。よって日本人は、なんとなく自分たちが日本人であることに誇りを持っているのではないだろうか。多分。

確かに、日本は世界から見て優れている点が山ほどあるけども。。

(それについてはまた今度気分で書いていく) 

 

大学に入学し、日本人だということで沢山の"外国人"の友達が一瞬で出来ると安易な考えを持っていた。しかし、現実はそう甘くない。彼らが最も気にしているのは、私が日本人などということなどではなく、あなたは何者かということだった。

正直、彼らにとって私が日本人かどうかということは、どうでもいいと言っても過言ではない。

こちらが日本人と伝えたところで、「そうなんだ!日本のどこから来たの?」 というキャッチボールを終えたら、そこからは裸一貫での勝負だ。

 

私は起業家精神という何ともイケイケな雰囲気の学問を専攻しているのだが、授業内でクラスメイトが興味を持つのは、私がどの様なビジネスをやりたくて、そのビジネスを通して何に貢献したいか、というシンプルなものだ。

自分が何をやりたいか、将来何を目指しているかなどを答えることが出来ないと、教室内で空気同然になってしまう。実に残酷な話だが、これはマジ。

「とりあえず皆んなフレンドリーだし、友達なんてすぐ出来るよね」なんていう考えは意外と通用しない。

自分が何者か、なぜアメリカに来てまで学んでいるのか、そう言った会話を通して初めて本当の"外国人の友達"が出来ると私は感じる。

アメリカ人がいくらフレンドリーだからと言って、海外で"本物のフレンド"を作るということは、実はそう容易くないのかも。

 

3.物事にアバウト

アメリカでは予期せぬハプニングが多い。

大学で例をあげると、授業内でクラスメイトとチームを組んでプロジェクトを進めていくといったことがほぼ全ての教科であるのだが、チームメイトのおかげで苦労したことが幾度と無くある。

基本的に、チームプロジェクトを進めていく際には、課題に対しての役割分担をする。

前学期に受講していた経営学のプロジェクトでは、アメリカの大手銀行のマネージャーにインタビューをして、彼らがどの様に組織を動かしているのか、社員たちのモチベーションはどこから来ているなどかといった質問の答えを貰い、それについてプレゼンテーションをするというものだった。

しかし、当日インタビューを謎の私用でドタキャンする生徒や、プレゼンテーション前日の夜になっても自分のパートのスライドを完成させてない生徒が毎学期必ず現れる。

これは物事にアバウトというより”学生としてしっかりしていない”と表現した方がいいかも知れないが、そういったことがしばしば起きる。非常事態に対応する能力というのはとても重要なスキルであると日々の生活からしみじみ感じる。

「物事にアバウト」などと題しておいてあれなのだが、正直私の経験上、アメリカは想像していたほどアバウトな国ではない。間違いなく私の勝手な妄想だった。

敢えてアバウトな物事を挙げるならば、信号くらいではないだろうか。

私の住んでいるボストンだけなのかも知れないが、歩行者は信号を雰囲気で渡りがちだ。歩行者は信号が赤でも車が来ていなければ何も気にすることなく渡ってしまう。なんなら信号が赤で車が来ていても、それを止めて歩く歩行者もいる。是非真似しないで欲しい。

 

皆それぞれアメリカに対して何かしらの印象を持っていると思う。ボストンでの四年間を通じ、私のアメリカに対するイメージは大きく変化していった。アメリカでの生活は私が過去に想像していた様にキラキラしていて派手なものではなかった。しかし、生活の中にある程度刺激があり、日々生きているということを実感することができる。そんなアメリカが私は好きだ。